2018年09月

私たちは何も持たずに生まれて何も持たずに去っていきます

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私たちはこの人生を生きていく中で、

服、貴金属、日用品、車、家、お金、

友人、恋人、仕事、資格、地位、信用など、

いろいろなモノを求めてそれを手に入れながら生きています。


そして、一度手に入れたモノは失わないように、

まだ足りないと思うモノは何とか手に入れようと、

日々の中を必死で泳いで生きています。


しかし、そんな毎日の生活の繰り返しの中で、

「自分はこんなにも何を強く握りしめているのだろう?」

「自分はこんなにも何を必死に追い求めてるのだろう?」


ふと、自分の生活の中に空しさを感じて疲れてしまった時、

次のことを少し思い出してほしいのです。


私たちは何も持たずにこの世に生まれてきて、

私たちは何も持たずにこの世を去っていきます。



私たちは毎日いろいろなモノに囲まれて暮らしていますが、

もし、自分が今持っているモノを全て失ってしまったとしても、

元々は最初から何も持っていないのが本来の私たちの姿であり、

そういう意味では本当は何も失ってはいないのですし、

最後も何も持っていくことはできないのですから、

極度に失敗を恐れたり、何かに執着したりしなくてもいいのです。


いろいろなことを考えすぎてしまったり、

いろいろなモノを失うことになってしまったり、

人生がとても重苦しくなってしまった時、

このことを思い出してみると少しは気が楽になるでしょう。


今日も一日、良い思考で良い波動を


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「なんとなく」の気持ちを信じてみませんか?

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時に、私たちは明確な理由は自分でもよく分からないとしても、

「なんとなく、そう思う」、「なんとなく、そうしたい」など、

そのような気持ちになることがあります。


「なんとなく、あの人にメールしてみよう」

「なんとなく、あの場所に行ってみよう」

「なんとなく、これが気になる」

「なんとなく、これをしてみたい」など、

自分でもハッキリした理由は分からないのだけれども、

「なんとなく、そう思う」、「なんとなく、そうしたい」など、

そのような気持ちになったときはできるだけその気持ちに従ってみては?


何か行動する時には明確な理由があった方が分かりやすいのですが、

その理由が自分ではよく分からないとしても、

そうしたいという気持ちが自然に心の中に広がってきて、

それをすることに抵抗がないのだとしたらその気持ちに素直になってみては?


なぜなら、それは自分の頭で考えての行動ではなく、

自分の心の中の深い奥の潜在意識からの声、

つまり、宇宙に道を示してもらっている場合が多いからです。



その「なんとなく」の気持ちに素直に従ってみると、

自分が探していたことへのヒントや答えに気付くことができたり、

運命的な出会いを経験することができたり、

自分にとって良いことや必要なことを得られることがあります。


もし、人生の選択に迷っていたり、

人生で何をしていいのか分からなかったりなど、

そのようなことで悩んでいる場合は、

たまに自分の心の中に広がってくる「なんとなく」を信じてみてください。


その時に重要になってくるポイントは、

「それをすることに抵抗がなく、ネガティブなイメージがないこと」です。

もしかしたら、「なんとなく」の行動から素敵な人生の扉が開くかもしれません。


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人生という映画の中を生きている私たち

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私たちの人生というものは映画のようなものであり、

誰もがその映画の中の主人公なのです。

その映画の中身は人それぞれストーリーが違いますが、

誰もが映画の中の主人公であることは間違いありません。

そして、多くの人がその映画の世界が現実だと信じています。


なぜなら、誰もがその映画の中で生まれ、

誰もがその映画の中で自分というストーリーを生き、

誰もがその映画の中で終わりを迎え、

誰もがまた再び違う映画の中で生まれ変わり、

私たちはそうやってずっと映画の中から出たことがないからです。


また、ここで気付くべき重要なことは、

自分は映画の中の存在であり、

その映画を見ている存在ではないということです。



では、今のこの自分というストーリーの映画を見ているのは誰でしょうか?

それを人は昔から「神」と呼んでいるのかもしれませんが、

ただ、1つだけ確信できることは、

自分の人生にどんなことが起きようとも、

それは自分という映画の中の出来事であり、

映画を見ている側からすれば「現実ではない」ということです。


それはあなたが映画を見ている時、

その映画の中でどんなに素敵な魔法が使えようと、

どんなに凶暴なモンスターが出てこようと、

その映画を見ているあなたは「現実ではない」と分かっているのと同じです。


映画の中にいる自分が見ている視点と、

映画の外の神と呼ばれるもの、宇宙の視点で見ているのとでは、

そこに見えてくる景色は全く違うということです。


しかし、このような話はすぐには理解できないことかもしれませんし、

とても信じられるようことではないかもしれませんから、

この話を無理に受け入れようとしなくてもかまいません。


一番大事なことは、

この人生が映画のようなものであろうと、現実であろうと、

「今の自分のこの人生を精一杯に楽しむ」ということなのですから、

それができていれば何の問題もありません。

これからも楽しく素敵な人生を歩んでいきましょう。


今日も一日、良い思考で良い波動を


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自分は自分の、相手は相手の世界の中で生きています

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あなたはこの世界で自分がやりたいこと、

信じたいこと、大切にしたいことを一生懸命にすればいいのです。


しかし、自分が見ている世界の正しさは自分だけのものであり、

自分が見ている世界のその正しさを、

相手が見ている世界の中で振り回しても通用しません。

それは日本と外国では法律が違うようなものです。

他人が見ている世界にはまた違う正しさがあることを覚えておくことです。


それはどちらが上で、どちらが下ということではなく、

どちらが気高く、どちらが下劣ということでもなく、

自分も他人もそれぞれの世界の中でそれぞれの正しさがあるということです。


ですから、もし、自分がやりたいこと、信じたいこと、大切にしたいことなど、

それらのことを誰かに否定されたとしても、

それは「その人の世界の中では違う」というだけのことであり、

それが自分の世界では間違いでないと思うのなら何も心配ありません。


なぜなら、その相手はあなたの世界の中で生きているわけではありませんから、

あなたには見えているものが相手の世界の中では見えていないのでしょう。


あなたにはあなたが見ている世界の正しさがあり、

相手には相手が見ている世界の正しさがあり、

この世界は1つしかないわけではなく、

本当は人それぞれ見ている世界は少しずつ違っていて、

それぞれの世界の中にそれぞれの正しさや価値観があるのです。



しかしながら、人間関係のトラブルの原因の多くは、

自分が見ている世界と相手が見ている世界の違いによって起こります。

立場が違えば見えてくる世界もそれぞれ違ってきます。

そのような時は、相手に見えている世界を少し覗いてみようと思うと、

そこに今まで自分の世界には見えていなかったものが見えることがあり、

それがヒントになって人間関係の悪化を防げることもあるでしょう。


今日も一日、良い思考で良い波動を


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