2018年01月

自分を苦しめている考えを変えてみるということ

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自分の中に「~であるべき」、「~すべき」という考えがあり、

それが正しいのだとその考えを強く握りしめているために、

もし、今の自分自身がひどく苦しんでいるのだとしたら、

その考えを変えて強く握ったままの手を少し緩めてみてもいいかもしれません。


例えば、挨拶は必ずするべきであるという考えの人がいるとします。

その人は誰にでもいつも自分から挨拶をしていて、

こちらが挨拶をしたのだから相手も必ず挨拶を返すべだと考えているとします。


しかし、こちらが挨拶をしたのにもかかわらず相手が挨拶を返してくれないと、

「挨拶されたら返すべきなのに許せない」

「挨拶した自分がバカみたい」

「無視された。悲しい」など、

このような感情になって苦しんでしまうことでしょう。


もちろん、挨拶をされたら返すということは一般的な考え方でしょうが、

「~であるべき」、「~すべき」という考えに縛られていると、

それが怒りや悲しみに変わり自分を苦しめてしまうことになるかもしれません。


世の中にはいろいろな人がいます。

当然、自分とは違う考えの人もいるわけですから、

「~であるべき」、「~すべき」という考えに執着するのではなく、

「こういう人もいるのだな」と軽く考えることで、

自分の中に怒りや悲しみの雲を広げることを防ぐことができます。


それに、もしかしたら、相手は挨拶を返さなかったのではなく、

挨拶の声が聞こえなかったり、気付かなかったり、

相手は挨拶を返したつもりだったのに自分には伝わらなかったりなど、

そのようなちょっとした誤解があったのかもしれません。


「~であるべき」、「~すべき」という考えが必要な時もありますが、

それが自分を苦しめてしまうのなら手放してみるという手もあります。


今日も一日、良い思考で良い波動を


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自分の人生に何が起きたとしても

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どんなに起きて欲しくないことがあったとしても起きる時は起きますし、

その「起きたこと」は「起きなかったこと」にはできません。

できることは起きたことを「どのように解釈して受け止めるか?」です。


自分の人生に何が起きたとしても、

起きたことを全て受け入れることができれば人生はとても楽になります。

それは「諦め」とは違います。

「諦める」のではなく、「認めて受け入れる」のです。

本当は人生の苦しみは自分が作り出しているということに気付くことです。


何が起きるのかは宇宙にお任せですが、

起きたことの受け止め方は自分で決めることができるのです。


人生にはいろいろなことが起きます。

今までもそうだったようにこの先もそうなるでしょう。

しかし、何が起きても前向きな思考を忘れないようにすることです。


人生には辛い悲しみの中で泣くこともあるでしょう。

しかし、泣いているだけでは何も変わりません。

どんな経験もそこには必ず何かの学びがあり成長があります。

絶望の中に希望を見つけることです。

その気になればピンチもチャンスに変えることができます。

そのことに自分が気付けるかどうかです。


「自分に乗り越えられない試練はやってこない」

このような言葉を聞いたことがある人も多いと思いますが、

それは本当にその通りなのです。

例えば、絶対にできない人に「この仕事をやりなさい」などと、

あなたは自分の部下に指示はしないでしょう?

「自分に乗り越えられることしか起きない」

それも宇宙の法則の中の1つです。


人生には行き止まりはありません。

行き止まりに見えるとしてももう少しそこを掘ってみたり、

横の方を少し掘り進んでみるとそのうちガラガラと壁が崩れて、

そこに新しい場所が広がっていることもあるのです。


自分の人生に何が起きたとしてもそこで諦めてしまうことはありません。

悲しみ、苦しみ、不安、恐怖、絶望などの嵐がやってきても、

その嵐の感情が過ぎ去った後には必ずまた青空が広がっていくのですから。


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思い込みという幻に苦しまないでください

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「思い込み」というものは正しい時もあれば、間違っている時もあります。

つまり、「思い込み = 真実」ではありません。


しかし、人は何かを思い込んでいると、

起きたことを何でもその思い込みと結び付けて自分を納得させ、

さらにその思い込みを強固にして小さな風船を膨らませるように大きくし、

本当は真実がどうか分からないものを真実のようにしてしまいがちです。


そして、自分のそのような勝手な思い込みが被害妄想を生み、

その幻の時化の海の中で溺れ苦しみ続けているうち、

次第に精神のバランスを失いさまざまな病気になることもあるでしょう。


また、勝手な思い込みによって誤解を生んでしまい、

大切な人間関係にヒビが入ってしまうこともあるでしょう。


大切なことは、

今の自分が思っていることは真実なのか?

それとも、根拠のないただの勝手な思い込みなのか?

それをちゃんと確認してみることです。


時に、その真実を見ようとすることには勇気が必要かもしれませんし、

知りたくもない真実を見てしまって苦しむことになるかもしれませんが、

もし、仮にそうなってしまったとしても、

実際に何か問題があることが分かれば対処の仕様もあるでしょうし、

自分で自分の首を絞めてありもしない幻に苦しむことはなくなります。


生きていれば自分の勝手な思い込みに支配されてしまいそうな時もありますが、

頭の中で複雑に絡んで見えている糸も実際に見てみれば実は糸は絡んでおらず、

スルスルと簡単にほどけてしまうということも少なくないのです。


本当はただの思い込みであるにもかかわらず、

自分1人で勝手に幻に苦しんでいることはやめましょう。


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良いも悪いも全ては自分が決めているということ

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本当はこの世の全てのことには良いも悪いもありません。

何が良くて何が悪いのかが最初から決まっているわけではなく、

それは全て自分が良いか悪いかを判断しているのです。



例えば、泥棒は悪いことだと誰もが思うでしょうが、

それは社会が泥棒は悪いことであると決めて、

自分も「その通りだ」と思うために「泥棒は悪いこと」になるのです。


しかし、宇宙的に見れば「泥棒をした」という事実があるだけで、

それが良いか悪いかという判断はどこにもありません。


誤解しないでもらいたいのは、

決して泥棒を肯定しているわけではありません。

泥棒は人の物を盗み被害者を悲しませるわけですから絶対に許されませんし、

当然、その犯人は刑務所に入れられて罰を受けることになります。


しかし、それはこの社会が決めたルールであり、

「泥棒は絶対に許されない」と思うのも自分が決めたことであって、

宇宙は泥棒に対して良いも悪いも判断はしていないということです。


宇宙は全てのことに良いも悪いも判断しておらず、

起きたことを「ただ起きたこと」としてそのまま捉えていますから、

「泥棒を許す」、「罰を与える」などをすることはありません。


ただ、この世界は自分のしたことが自分に返ってくるという、

絶対的な宇宙の法則がありますから、

泥棒をすれば、それに見合った現実が自分に返ってきます。

それを人は「天罰が下る」、「罰が当たる」と言っているのです。


ですから、いくら宇宙が良いも悪いも判断しないからといって、

犯罪などで人を悲しませ苦しめる行いをすれば、

宇宙の法則でそれが自分に返ってきますから健全に生きることが賢明です。


また、自分に何かが起きた時に悲しんだり苦しんだりするのも、

それを自分が「悪いこと」と判断したために悲しみ苦しむのです。

そのように考えると悲しみも苦しみも全て自分が作り出しているといえますが、

そうはいっても私たち人間は「はい。そうですね」とは素直に言えないでしょう。


自分の望みが叶わなかったり、

自分の大切な人と別れることになったりすれば、

誰でも悲しんだり苦しんだりしてしまうものですから、

人間にとってそれは何もおかしいことではなく普通のことです。


ただ、それでも本当はそのことに良いも悪いもなく、

全て自分がそのことに良いか悪いかを決めているということに気付けば、

自分の考え方、現実の受け取り方を変えることによって、

マイナスをプラスに、ネガティブをポジティブに変えることもできるでしょう。


今日も一日、良い思考で良い波動を


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