その思考を裏で強めている別の思考に気付きましょう

fdgncgdfcmfcfdicfhfv.jpg

「幸せになりたい」と思うのは、

今の自分が幸せではないと思っているからでしょう。


「お金が欲しい」と思うのは、

今の自分にはお金が無いと思っているからでしょう。


「友達を作りたい」と思うのは、

今の自分には友達がいないと思っているからでしょう。


つまり、自分が何かを求める時、

そこには「その思考を裏で強めている思考」があるのです。


例えば、幸せになるための努力や行動をしていても、

心の中には「今の自分は幸せではない」という、

欠乏、怒り、不安、恐怖などの感情が根っこにあれば、

ネガティブな思考からその幸せを求めていることになります。

そうすると、せっかく幸せを求めてがんばっているのに、

なぜか「幸せではないもの」が引き寄せられてくることもあります。


この場合は自分の頭にある思考ではなく、

心の奥にある「根っこの思考」の方が強いため、

心の根っこにあるネガティブなものが引き寄せられてくるのです。


自分が何かを望む時、

「自分はどうしてそれを望むのか?」

「自分は何を出発点にしてそれを求めているのか?」


その思考を裏で強めている別の思考に気付くことが大切です。


自分の頭の中の表面的な思考ではなく、

自分の心の奥底にある根っこの思考に気付くことです。


「幸せ」を求める時はマイナスな思考から求めるのではなく、

「今は幸せである」という思考からさらに幸せを求めればよいのです。


基本的に何でも「今の自分は満たされている」という思考を出発点にして、

そこから自分が求めるものを手に入れるための行動をすることです。

そうすれば、表面的な思考も心の奥にある根っこの思考もプラスなのですから、

自分が求めるものがスムーズに引き寄せられてくるでしょう。


今日も一日、良い思考で良い波動を


【応援してくれる方に心から感謝します】
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

このエントリーをはてなブックマークに追加

自分の波動が上がったかを知る7つの質問

fgndncxedumixcdsssdxd.jpg

精神世界に目覚めて知識や法則を数多く学び、

目には見えない世界を信じられるようになったとしても、

「自分は昔よりも波動が高くなっているのだろうか?」と、

そのように疑問を持ってしまう人もいるかもしれません。

そのような時は次の質問を自分自身に問いかけてみてください。


1、自分は昔よりも自分に起きたネガティブなことを誰かのせいにせず、

  「自分に起きたことは全て自分で引き寄せたものだ」と、

  素直にそう思えるようになっただろうか?


2、自分は昔よりも不安や恐怖を出発点とするのではなく、

  愛やワクワクを出発点として行動するようになっただろうか?


3、自分は昔よりも自分のことを愛せるようになっただろうか?


4、自分は昔よりも不平、不満、愚痴、悪口を言わなくなっただろうか?


5、自分は昔よりも感謝する回数が増えただろうか?


6、自分は昔よりも「人に与えることは自分に与えること」、

  自分のしたことは全て自分に戻ってくると理解できているだろうか?


7、自分は昔よりも自分も他人も大河の一滴であり、

  本当は誰もが繋がっていて「すべては1つである」

  このことを頭ではなく魂レベルで納得できるようになっただろうか?



これらの自分への問いかけに「イエス」と答えられるほど、  

今の自分は昔よりも確実に波動が上がっていることになります。


波動は目には見えません。

波動が高くなったからといって見た目に劇的な変化もありませんし、

外見的には昔と同じ自分がいるだけなので実感は少ないかもしれませんが、

波動が上がれば自分に引き寄せられてくるものが昔とは変わります。

昔と今とで自分に引き寄せられてくるものを比べてみてください。

そうすれば、今の自分が昔よりも波動が上がっていることが分かるでしょう。


今日も一日、良い思考で良い波動を


【応援してくれる方に心から感謝します】
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

このエントリーをはてなブックマークに追加

無財の七施

deubytexnvuicjduixjsxjuidxjdu.jpg

仏教に「無財の七施」(むざいのしちせ)という言葉があります。


1、眼施 (がんせ) 

  優しい眼差しで接する


2、和顔悦色施 (わがんえつじきせ)

  にっこり笑顔で接する


3、言辞施(ごんじせ)

 思いやりに満ちた温かい言葉


4、身施(しんせ) 

 自分の身体を人のために使う


5、心施(しんせ)

  気配り、心配り、思いやりの心


6、床座施(しょうざせ)

  席や場所を譲る


7、房舎施(ぼうしゃせ)

  寝る場所を提供する



これはどんなにお金が無くても、物が無くても、

誰でも周りの人に喜びを与えることができるというものです。

どれも難しいことは何一つありません。


房舎施の「寝る場所を提供する」というのは、

自分の家に訪ねてきた来客を部屋に通してくつろいでもらったり、

遠くから来ている人であれば家に泊めてあげるという意味であり、

誰でも闇雲に家に招き入れてあげるという意味ではありません。


自分にお金が無くても、物が無くても、

自分の心次第でこんなにも素晴らしいことができるのです。

どれも難しくてできないということはありません。

ただ、自分にそれをする心があるかどうかだけです。


これを実践して生きることにより、

多くの人に喜びを与えることができますし、

また、自分自身の波動も上げることができます。


「無財の七施」

これは誰でも今すぐにでも実践できますし、

これは自分の人生を楽しく平和にするために大切なことです。

もし、人のためにやることは嫌だというのなら、

自分自身のために実践してみてはいかがでしょうか?


今日も一日、良い思考で良い波動を


【応援してくれる方に心から感謝します】
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

このエントリーをはてなブックマークに追加

人生のスパイス

nfeunicfecbndfybcyduncydunsd.jpg

もしも、生まれてからずっと幸せしか知らなければ、

本人はそれが「幸せ」であることが分からず、

それは「普通なこと」としか思わないでしょう。


そして、その先もずっと「その普通なこと」が続けば、

本人は「自分の人生は普通だった」と思いながら天に還るでしょう。


逆に、生まれてからずっと不幸しか知らなければ、

本人はそれが「不幸」であることが分からず、

それは「普通なこと」としか思わないでしょう。


そして、その先もずっと「その普通なこと」が続けば、

本人は「自分の人生は普通だった」と思いながら天に還るでしょう。


二人の人生を比べてみればそこには天と地の差がありますが、

本人たちはずっと片方のことしか知らないわけですから、

本人たちにとってはその生活が当たり前であり、

二人共、「自分の人生は普通だった」と思うでしょう。


つまり、「幸せ」を感じるためには「不幸」を知る必要があり、

「喜び」を感じるためには「悲しみ」を知る必要があるのです。

どちらか片方しか知らなければそれが「普通」になり、

今の自分が「幸せ」なのか「不幸」なのか知ることはできません。


苦しみを知っているからこそ、楽しみを味わうことができるのです。

悲しみを知っているからこそ、喜びを味わうことができるのです。



今自分に起きている苦しみ、悲しみ、絶望、怒りなど、

そのような今の経験はとても嫌で逃げ出したいとしても、

「それはいつか自分が幸せや喜びを味わうために必要なこと」

そのように思うことができるのではないでしょうか?


生きていればいろいろなことが起きるものです。

私たちはいつでも「幸せ」を願い求めますが、

その「幸せ」を味わうためには「苦しみ」や「悲しみ」も必要なのです。


人生の苦しみ、悲しみはスパイスみたいなものです。

スパイスだけでは辛くて美味しくありませんが、

人生にそのようなスパイスが少しあるからこそ、

人生に幸せを感じて楽しく彩ることができるのではないでしょうか?


今日も一日、良い思考で良い波動を


【応援してくれる方に心から感謝します】
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

このエントリーをはてなブックマークに追加

私たちは宇宙の法則によって生まれてきました

befbyeubfyewbndn.jpg

この宇宙には法則があります。

しかし、その法則に感情はありません。

それが良いか悪いかをジャッジする意思はありません。

どんなことでも条件が揃えば法則が働くだけです。

これまでも、これからも、

ただ、その法則によってこの世界が動いていくだけです。


そして、私たちも宇宙の法則によって生まれてきました。

ですから、私たちは誰もが宇宙の一部です。

これまでも、これからも、

私たちはずっと宇宙の一部であり、

私たちはいつでも宇宙と繋がっています。


あなたが孤独を抱えて震えている時も、

あなたが悲しみの海で泣き叫んでいる時も、

あなたが絶望の淵を彷徨っている時も、

あなたはどんな時でも宇宙から切り離されることはありません。


仏教的な表現をするのなら、

私たちは生まれてから肉体を脱ぎ捨てるまで

ずっと「お釈迦様の手のひらの上にいる」のです。


あなたがどんなに苦しみ悲しんでいる時でも、

本当は全てお釈迦様の手のひらの上で起きていることであり、

あなたはいつでも「お釈迦様の手のひらの上」で守られているのです。


私たちは誰もが宇宙の一部ですから、

ひとつの命が終われば大いなる宇宙に戻り、

また新たにひとつの命が誕生することになります。

そういう意味では私たちは滅ぶことはありません。

これまでも、これからも、

私たちは永遠に生と死を繰り返し続けていくだけです。


ただ、「個としての今の自分」は今回かぎりです。

今の自分という存在の人生の物語は今しか体験できません。

難しいことは考えずに今の人生を精一杯に楽しみましょう。

本当はそれが一番大切なことなのですから。


今日も一日、良い思考で良い波動を


【応援してくれる方に心から感謝します】
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク